年賀状を書こう

                  
                  うさぎひめ

 2年前位から疎遠になった元彼の訃報がはいった。もう、彼は会わない人だと思っていた。最後に旅先からの手紙をもらったのが去年の5月。それから電話もメールも手紙もなかったから。
 だから、彼の死を知って大泣きした自分に驚いた。会わないことともう2度と会えないことは違うことなんだ。
 彼は北海道で田舎暮らしをして、世界を旅するバックパッカーだった。彼の生活に憧れ、私もいつか田舎暮らしをして、世界を旅したいと思っていた。しかし彼が死んだことでその思いが、なんとも危うく頼りないものになった。
 会わなくても、彼がどこかで元気に暮らしていることが私の励みになっていたようだ。それが、すーっと消えていってしまった。もう会わなかった人だけど、私の中には生きていた。彼としてではなくても、初心者バックパッカーであり田舎暮らしにあこがれる私の思いとして。

 年賀状を書く時期にいつも思う。この人、ずっと会っていないんだよね。コメントの書きようがないよ。毎年「元気ですか」「会いたいですね」ってちょっとしらじらしい。でも、そんな人も以前はとてもお世話になったり、仲良くしてもらった人。年賀状をやりとりするほどの縁のある人は私に何らかの影響を与え、今の私を育ててくれた人なのだ。
 たとえば、新婚旅行で同じツアーで出会った夫婦。もう離婚してしまった私だが、元夫とラブラブだった頃を知っている貴重な夫婦。
 幼い初恋を告白しあった小学校の頃の女友だち。未だに不器用な恋愛しかできない私の初めての恋を知っている人。
 波照間の民宿「たましろ」に初めて行った時、一緒に飲んだ旅人。あの夜の楽しさが忘れられなくて、あれから何度「たましろ」に通ったことか。
 そんな人たちが一人でもいなくなったら、寂しいし悲しいしとっても辛い。彼らが担ってくれている私のピースが消えてなくなりそうなほどに。

 彼の死を知ったのが12月23日。今から一週間前。まだまだ悲しくて、お正月が来るというのにちっともめでたくない。だから「あけましておめでとう」なんてとても書く気がしない。「喪中につき年頭のご挨拶をご遠慮申し上げます」の気持ちがよくわかる。
 だけど、一方で年賀状を出せる人がいることを、幸せに思う。私はこんなにも多くの人と出会い、愛をもらった。そしてその人たちが今でも元気でいてくれる。それは平凡だけどなんて安らかで幸せなことか。死んだ彼にはもう年賀状を出すことができないのだ。
 ずっと会っていない人に「元気ですか」「会いたいですね」って今なら心をこめて書くことができる。「あなたに会えて私はとても幸せです。あなたのおかげで今の私があります。だから、ずっと元気でいてください。私はとっても元気です」。そんな思いをこめて今年からは年賀状を書こうと思う。
                  2006.12.30
           同人誌VELO12 vol.7 掲載