のヴィバッサナー瞑想コース体験記
                                       2011.8.23〜9.3
瞑想っていいらしい。
と、ここ何年も本で読んだり、耳にしたりしたけど「瞑想」を習ったことはない。
瞑想って、ただ目をつぶって座っていれば良いの?

どこかで瞑想ができるところはないかと、ネットで探していたらヴィバッサナー瞑想の存在を知った。
ヴィバッサナー瞑想の10日間コースをやっているところが京都と千葉にあるという。
ブログなどにアップされている体験記を読むと、とても良いらしい(ここらへんが、大変大雑把な把握の仕方。ああ。)
そして、申込者がいっぱいで、キャンセル待ちがでるほど人気のようだ。
しかも無料(運営は寄付によってまかなわれているので、最後に寄付をしてきましたが)

おおすばらしい♪

こんなお気楽ムードで京都の瞑想コースに、申し込んでしまったのだが。
申し込む前に読んでくださいという「瞑想コース」の手引きには、「ヴィバッサナーに適しているのは進んで真剣に努力し、規律を守ることができる人たちだけです」と書いてある。
・・・うかつなことに、これをじっくり読んだのはコース終了後・・・(ーー;)

体験をとおして、そのとおりだった。
私がここ最近縁のなかった真剣、努力、規律。
そんな清く正しい事柄が、
(わたしがうかつだったので)
不意打ちのように
私を襲ったのだよ。ぐわ〜〜〜ん。

まずは一日の時間割
  04:00 am      :     起床
    04:30 am 〜06:30 am:     ホールまたは自分の部屋で瞑想
    06:30 am 〜 08:00 am:     朝食と休憩
    08:00 am 〜 09:00 am:     ホールにてグループ瞑想
    09:00 am 〜11:00 am:     ホールまたは自分の部屋で瞑想
    11:00 am 〜 12:00 pm:     昼食
    12:00 pm 〜01:00 pm:     休憩
    01:00 pm 〜 02:30 pm:     ホールまたは自分の部屋で瞑想
    02:30 pm 〜 03:30 pm:     ホールにてグループ瞑想
    03:30 pm 〜 05:00 pm:     ホールまたは自分の部屋で瞑想
    05:00 pm 〜 06:00 pm:     ティータイム
    06:00 pm 〜 07:00 pm:     ホールにてグループ瞑想
    07:00 pm 〜 08:30 pm:     講話
    08:30 pm 〜 09:00 pm:     ホールにてグループ瞑想
    09:00 pm 〜 09:30 pm:     ホールにて質疑応答
    09:30 pm             :     就寝

この時間割を鐘の合図とともに、実行する。
1日10時間以上の瞑想。
休憩時間はシャワーをあびたり、洗濯したり、ベッドに寝そべって窓から見える雲とお話していた。
・・・だいぶ弱ったいたわたくし
本、筆記用具、携帯電話などは入所するときに、マネージャーに預けて手元にはない。
コース中は聖なる沈黙を守るので、おしゃべりもできない。
だから、ひたすら瞑想をし食事して寝る生活だ。
そんな日々だったけど、京都瞑想センターであるダンナバーム・センターは自然豊かなところで、星空とか虫の声にかなり癒された。

一日のお楽しみは食事。
食事の時間は朝の6:30と11:00の2回だ。
夕方5:00のティータイムのときに、ヴィバッサナー瞑想コースが初めての参加者には飲み物+果物がでる。
いつも3食+おやつを食べている私だけれど、こんな少食でもお腹がすいて苦しいということはなかった。
ずっと運動せずに座ってばかりいるからかなあ。
朝6:30の食事のときは、さすがに少しお腹がすいていて、つい食べ過ぎてしまう。
そして、11:00の食事の時に、まだお腹がすいていなくて、ちょいと後悔。
食事は菜食で、サラダや煮物などだった。
味は薄味でこれが、関西の味なのかなあと思った。
ごはんにゴマや塩を振りかけたり、パンにゴマペーストや蜂蜜を掛けて食べるのが美味しかった。
ちょこっと、手作りのデザートがでるのも嬉しかったなあ。

夜は9:30に就寝だが、眠れなかった。
暑いし、運動不足だし、お腹も空だし、それで眠れないのかなあと思っていたけど。
瞑想中に頭の中の整理ができてしまうので、寝る必要がなく、眠れなくなるんじゃないかと。
そんな理由もあるようだ。

さて。
生活はこんな感じだけど、瞑想は・・・
はじめ、ひたすらじっと座っているのが辛かった。
腰が痛い、肩が痛い、膝が痛い。
これはきっと座る環境が悪いのだと、クッションを尻に敷いてみたり、膝の下に小さなクッションを敷いてみたり、クッションの下に高さを調節するために、持ってきたパレオを挟んでみたりいろいろ試みた。
膝の高さによって、反対側の肩あたりが痛くなる。
やっぱり、体って繋がっているんだなあと、改めて実感したり、瞑想どころではなかった。

はじめの3日間は自分の息を観察するアナパナ瞑想をするのだが、体が痛い上に、あんなこともこんなことも頭に浮かび、集中できない。
そして、瞑想ホールは暑く、ひたすら汗をぬぐって終わってしまうときもあった。

4日目からやっとヴィバッサナー瞑想にはいる。
頭の上から順番に足の先まで体を観察していくのだ。
ひたすら息と鼻と鼻の下を観察するアナパナ瞑想に飽きて苦しくなっていたので、体全体を観察できて、ほっとした。
頭の上、後ろ、側面、おでこ、眉など上から順番に足の先まで、観察していく。
ヴィバッサナー瞑想をしながらも、心は昔のことやら先のことを思い、暴走する。
「これではいけない」とヴィバッサナー瞑想にもどるが、そのたびに体のどの部分まを観察したのか忘れてしまっていた。
なんてこったい。
4日目となると、クッションの位置が決まり、快適に座れるよう環境は整っているはずだが、なぜか体が痛くなる。
それを、嫌だな〜、痛いな〜と思わずに、観察する。
そうすると、不思議に痛みは薄れていく。
体の痛みは心の濁りがでたもので、痛みを観察し、痛みを流していくことで、浄化できるという。
合宿も後半になると、体の痛みを感じずに、少しも動かずに座っていられるようになった・・・→ときもあった。(だいぶ、浄化されたのかなあ?)
はじめは、体の部分を少しずつ分けて観察していくのだが、だんだんと、一度に観察する部分を広くしていく。
そして、息を吐くときに体の上から下へ、吸いながらに体の下から上へ意識を向けていくと、体の中に流れを感じる。
特に、息を吸いながら、上へ意識を向けて行く時に、体がふわりとうく感じがして、気持ちよかった。
しかし、その感覚をまた味わおうと期待すると、うまく味わえない。
痛みに対しても、心地よさに対しても、あくまでも平静でいなければならないそうだ。
瞑想の目的は、気持ちよさを味わうことではなく、自分を観察して心を浄化することだから。

ヴィパッサナー瞑想は「心の手術」という。
こんなふうに瞑想をし、10日目に沈黙がとかれ、参加者同士で話した時に、「いったい自分のどこが手術され、心が変わったのかちっとも実感できない」と話し合った。
話すことと言えば、「瞑想中、便秘したよね〜」「瞑想中に限って、トイレに行きたくなって困ったよね」など、およそ「心の手術」とは程遠い話題ばかりだった。

9日間の沈黙中は、みんな伏目がちで怖く感じたけれど、話してみると誰もがフレンドリーで良い人たちだった。
すごく人生苦労しちゃって、ここへたどりついたとか。
人生まじめに向き合って、ここへたどりついたとか。
便秘の話もしたけれど、話してみると、すぐに人生を語り合えるような、いろいろな引き出しを持っている人が多く、話がつきなかった。
そんな人たちに会えて来てよかったと、このときに少し思った。

だけど、だいたいは、ただただ我慢と苦しさの10日間で、早く家に帰りたかったし、家で留守番している彼に連絡を取りたくてたまらなかった。
「ああ、この10日間は何だったんだ」
終わったばかりはそう思った。
リピーターの人もいるけれど、もう二度と来ないだろうと。

帰ったら、1、2日は胃が小さくなったのか、あまり食べられなかった。
体重は1キロ減っていた。
だけど、帰って3日目あたりから、11日間の少食を取り戻すかのように、いっぱい食べた。
そして、瞑想合宿中は、座っているだけの日々だったのに、体は疲れていて、ひたすら眠くなった。

心は不思議と落ち着いていた。
ここ1年以上、仕事をしていなくて、いつも自分を責めていて、「これからどうしよう」と思うだけで、行動をおこせず。
不安を消すように、「幸せになる本」ばかり読み、だけどちっとも幸せになれず。
今も状況はかわらないけど、今は今でいい。
その先困ったら、そのときに困れば良い。
そんな妙な自信がわいてくる。

「瞑想って、本当に良いものなのかも」って家でもやろうとする。
でも、30分も座っていられない。
やはり、あの瞑想ホールは特別の空間だったのか。
瞑想中に守った
1、生き物を殺さない
2、盗みを働かない
3、性行為を行わない
4、嘘や悪い言葉を使わない
5、酒・麻薬の類を摂らない
という五戒を守らないと、瞑想に集中できないものだろうか。
瞑想コースの最後のほうの講話では、「日々、五戒を守り、朝夕1時間ずつの瞑想をし、年1回の瞑想コースの参加」を薦めている。
この生き方はとてもできそうもない。
しかし、心のそうじのために、またこのコースに参加してみたいと思った。

と、ここまでは9月にメモ書きしてた事柄だけど、あっというまに11月だあ。
あいかわらず、瞑想とはかけはなられた生活を送っていて、瞑想をしたことは心の中で、はるかかなたになってしまった。
それでも、すごく嫌なことがあったり落ち込んだ時は、瞑想のことを思い出す。
そうだ、体の痛みを観察したように、今の嫌な気持ちを観察してみよう。
それに、この嫌な気持ちは、永遠には続かない。
そんなことをしても、嫌な気分はすぐには消えていってくれないけれど、嫌な気分にどっぷりと浸からず、頭を切り替えようともがいてみることはできた。
普段、そうそう嫌な思いもしないけど、もしまた落ち込んだ時は、瞑想やら心の観察やらをしてみよう。

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ヴィバッサナー瞑想コースについて語ると、つい苦しかったことを強調してしまい、「そんなに良くなかったんだ」「あまりお勧めでもないんだ」って言われてしまう。
微妙なところだ。
苦しかったけど、仏教好きの私は五戒を守ることができたのは嬉しかったし、素敵な人たちにも会えたし、落ち込みから抜け出すためのすごいツールを教えてもらったような気がするし(使えるか使えないかは別として)
だから、興味があるんだったら、1回は行ってみるのも良いんじゃないかと思う。
瞑想体験は人それぞれ違うものだし、私のようにお気楽に参加せず、それなりの覚悟を持ち、しっかり手引きを読んで参加したら苦しさだけに打ちのめされずに、もっと得るものが多いのでは・・・と思うから。
と、いうわけで遅くなってしまったけど、ヴィバッサナー瞑想コースの体験記でした。

私が今回お世話になった日本ヴィバッサナー協会
ありがとうございました。

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